キャンプ座間への米陸軍第1軍団の移駐を   
発行日:20125月22

歓迎しない会ニュース No.35


 
[学習会報告]

「米軍再編の見直しと、沖縄の民意…。
松元剛さんに聞く。」

オスプレイ配備が計画されている沖縄の現状をうかがいました。
 5月19日、相模原市内で、琉球新報政治部長の松元剛さんの講演会が50名の参加で盛況のなか開催されました。(相模補給廠監視団と第1軍団の移駐を歓迎しない会の主催)
 米軍再編の見直しが日米両政府により発表され、また、オスプレイ配備が問題となる現在の局面で、沖縄の声をあらためて聞き学ぶ場となりました。


「犯す前に『犯しますよ』と言いますか」発言は琉球新報による暴露だった
 この発言は、昨年11月、沖縄県名護市辺野古への新基地建設をめぐる環境アセスの評価書を年内に沖縄県に提出するのかどうか、田中聡沖縄防衛局長に記者が問うた時に飛び出した暴言です。これが明るみに出て、防衛局長は更迭、一川防衛相も問責決議可決へと事態が進行したので、ご記憶の方も多いと思います。松元さんは、このことから話を始めました。

 この発言は、琉球新報の暴露によって世に知られることとなったものです。夜のオフレコ懇談会の場で出た発言で、「書かないという選択もあったが、それは、読者に対する背信とみた。事の重大さを考えないわけにいかなかった。」と。
 この発言は、新基地建設をめぐる環境アセスを、不法な行為しかも性的暴行になぞらえているという、それだけで県民の尊厳を踏みにじる大問題発言なわけです。しかしそれは、その年、相次ぎ明るみに出た沖縄蔑視発言の延長上にありました。「抑止力は方便」発言、「沖縄はゆすりの名人」発言、などなど。
 「事の重大さ」から報道しないわけにいかなかった、ということが話を聞いて理解できました。しかし、一連の事態を改めて説明されてはじめて、ハッとさせられてしまう自分に恥ずかしさも覚えました。
沖縄差別について

 5月15日の復帰40年が報道されていますが、「沖縄の人たちにとっては、5・15よりも重い日とも言われる」4・28があるということが話されました。この日はサンフランシスコ講和条約発効の日(正式に沖縄が米国の統治下に入った)で「屈辱の日」とされている、それから数えて60周年であると。このような「40周年・60周年」を、沖縄は、本土からの「差別」を意識して迎えているという話がされました。仲井眞知事も9万人の大集会で「差別」だと発言した。それ以来、沖縄県民の間で「差別だよね」という雰囲気が出てきているようです。

 「『差別』を感じる沖縄の人々がある中で、今度はオスプレイだ!」「オスプレイは沖縄の9割が『反対』」ということです。オスプレイの岩国への先行配備、試験飛行の話があって、これが、山口・岩国の猛反発にあって撤回する政府が、沖縄に対しては、民意を無視して無理やり押し付けようとしている。これは、どう考えても差別としか考えられません。どうしてこんなことが許されるのか?本土の私たちが、これを見過ごしてはいけないと思いました。松元さんも、「オスプレイは、那覇軍港で組立てて・・・と報道があるが、狂気の沙汰だ。反発を増やすだけ。モロッコの事故もどうして墜落したか何も報告がない中である。」と批判されていました。
『沖縄の負担軽減』の文言が消えた!--日米安保協議委共同発表--

 在日米軍再編の見直しについては、「沖縄の民意の頭越し」であり、「基地の押し付けが鮮明」であり、「負担軽減の虚飾が再び」という批判がなされました。
 また、「今回の日米安保協議委員会の共同発表の文書から『沖縄の負担軽減』の文言が消えた。『地元への米軍の影響を軽減する』との表現になった。」と報告がなされました。これは、「沖縄の負担軽減」など実際には真面目に考えていないことの表れなのでしょう。
沖縄との連帯・連携これからも追求していきたいと思います!


 

松元剛さんプロフィール
1965年那覇市生まれ。89年琉球新報社入社。沖縄にとどまらず、広く海外、本土の基地も取材。
基地問題に関する編著書も多数。特に日米地位協定問題では、抜本的改訂の論陣を張る。
「琉球新報」は「沖縄タイムス」とともに、沖縄県民の立場の地元紙。


----キャンプ座間◆近況 ---------------------------

陸自中央即応集団司令部の工事、着々と

相模補給廠監視団 沢田政司



 5月13日、府中で活動する憲法学習グループの基地めぐりに同行した。午前に相模補給廠を、午後にキャンプ座間を回った。絶好の行楽日和、昼食場所にした相模原市立麻溝公園は家族連れで賑わっていた。駐車場はどこも満杯だったが、我が一行は何とか滑り込みセーフで、駐車場所を確保することができた。
 昼食後は高さ38メートルのグリーンタワーの展望台に上がり、まずはキャンプ座間を遠望…。視界良好だったが、この日は日曜日。臨んだ飛行場にヘリコプターは駐機していなかった。
(写真1;管制塔とヘリコプター格納庫)


次にゴルフ場の様子を見ようと、新磯野西公園へ。同公園で遊んでいた小学生にゴルフボールがぶつかったことが発端となり、この飛び出し事故が社会問題になっていったことなどを説明…。誰かが日本人がプレーしているのを発見。そこで、ここでゴルフしている人の9割は日本人であるというからくりも説明した。
 新磯野側から新戸側へ。県道相武台・新戸線のトンネル入り口に行くと、同トンネルの改良・拡幅工事で車は通行止め、行き来ができるのは人と自転車だけとの看板が付けられていた。(写真2)


 トンネルの左上に、土止め工事、基礎工事が施されている様子が見えた。一見して、陸自中央即応司令部の関連工事であることが分かった。
 その足で新戸公園に向かう。1年前まではずらっと並んでいた軍用車両は1台も並んでいない…。そのモータープールの北側にスクールバスが並んでいる様子に変化はなかったが、緑色迷彩、砂漠色の第1軍団前方司令部の車両はただの1台もなかった。代わりに、中央即応集団司令部の建設工事が行われていた。(写真3)


 最後に座間公園から司令部建屋を見た。日の丸、星条旗、国連旗がはためいていた(写真4)が、視察したメンバーは一様に、2つの基地の広さに驚いていた。同時に、フェンス1枚で隔てられる不平等に憤ってもいた。(沢)