沖縄訪問報告特集

キャンプ座間への米陸軍第1軍団の移駐を   発行日:2010526

歓迎しない会ニュース No.25



沖縄の反基地運動に連帯! 


516日に行われた普天間基地包囲行動の様子です。(宜野湾市役所前)
 豪雨の中で、1万7000人が参加して包囲を成功させました。前日開催された“日米軍事再編・基地強化と闘う全国連絡会総会”への結集と併せて、この包囲行動に歓迎しない会から7名で参加してきました。
 沖縄の基地問題は、今、全国が注目する政治の中心問題ともなっています。今号は、私たちの沖縄訪問を特集で報告します。

目次

<報告>“日米軍事再編・基地強化と闘う全国連絡会”第4回総会を沖縄・宜野湾市で開催
<報告>辺野古現地の座込み現場を訪問
<参加報告>“5/15 アジアから基地をなくそう!とり戻そう普天間 国際連帯の集い”
<報告>フィールドワークと、豪雨の中での普天間基地の包囲行動  
<学習会 参加者レポート> キャンプ座間内と周辺は遺跡の宝庫!貴重な文化財が眠る!

“日米軍事再編・基地強化と闘う全国連絡会”
4回総会を沖縄・宜野湾市で開催
「沖縄にも徳之島にも岩国にも厚木にもどこにもこれ以上の基地はいらない!」と宣言

沖縄県民がくじけることはありえない!―――――安次富 全国連絡会共同代表

日米軍事再編・基地強化と闘う全国連絡会の第4回総会が沖縄・ぎのわんセミナーハウスにて、5月15日に開催されました。当日は5・15平和行進が行われており、翌日には普天間包囲行動が控えている中での開催、まさに闘う総会となりました。

 全国連絡会共同代表の安次富 浩 氏(沖縄・ヘリ基地反対協議会)は、冒頭のあいさつの中で、「鳩山首相は、沖縄県民の県外・国外移設という望みを全く踏みにじる暴挙を行った。沖縄県民がこれにくじけることはありえない」と発言し、「明日の普天間包囲行動への参加も含めて、全国連総会を有意義なものにしてほしい」と訴えました。


冒頭挨拶をする安次富 共同代表

桜井教授による記念講演 辺野古アセスの欺瞞性

 続いて、沖縄大学教授・桜井国俊氏を講師に迎え、「キャンプ・シュワブ沿岸域移設くい打ち桟橋工法の問題点」と題する記念講演がおこなわれました。政府案として“くい打ち桟橋工法”が浮上してきていることに対し、ジュゴンやサンゴなど辺野古の自然に対する影響という点では埋立て工法と何の違いもないことが示され、さらに、現行アセスのまま進めようとする政府に対し、現行アセスの欺瞞性、アセスのやり直しを求めて闘っていく必要があることが示されました。


沖縄大学の桜井国俊教授による記念講演
スクリーンには辺野古の海に確認されているジュゴンの写真

沖縄、岩国、横田、神奈川各地からの報告

 この後、各地の闘い・活動報告に移り、沖縄、岩国、横田、神奈川各地の参加者から発言が続きました。

 辺野古からは、違法アセス訴訟の報告と、名護市長選勝利に関して、「名護市長選は民主党政権に打撃を与えた。鳩山政権は前の市長が当選するとみていたのでは。稲嶺市長の『海にも陸にも作らせない』というスローガンは、政府にとっても、仲井間知事にとっても足かせとなっている。私たちはこの市長を支える運動を進めていく」と発言がありました。

 岩国からは、提訴した爆音訴訟には空母艦載機部隊の移駐差し止めも含めた。愛宕山開発事業跡地問題では、米軍住宅だけでなく米軍の倉庫や車両整備工場などを建設する計画があることも判明した。第2の米軍基地にしようとしていると報告があり、5・23岩国大集会のアピールがなされました。

  横田からは、横田基地飛行差し止め訴訟の最高裁判決(09年4月)について、「騒音は違法、飛行差し止めは裁判所ではできない」とこれまで同様の判決だったことが報告され、横田・基地被害をなくす会をたちあげ、具体的な例として米軍家族(少年)による犯罪(ミニバイク転倒事故)について取り組んでいるとの発言がありました。

  横須賀からは、原子力空母ジョージワシントンの修理問題について、日本でしないとした修理の範囲が、エード・メモワール(64年、当時は原子力潜水艦)では動力装置となっていたが、ファクトシートでは原子炉に書き換えられてしまったことがわかり、それに対する取り組みが報告されました。

 歓迎しない会からは、池子、厚木、座間、相模原の近況について報告しました。池子では、20年ぶりに反対集会が開催されたこと、厚木ではP1配備に反対する運動も進められていること、座間では陸上自衛隊の家族宿舎建設が、キャンプ座間の座間市域追加返還とバーターで提示されたこと、相模原では第1軍団前方司令部発足後、米軍と陸自の一体化が進んでいることなどを発言し、各地からの報告を締めました。以上の報告・発言を受け、「改めて『米軍再編の見直し』を求め、『移設』ではなく、沖縄にも徳之島にも岩国にも厚木にもどこにもこれ以上の基地はいらない!」と訴える総会宣言を採択して閉会しました。

平和行進などが同時進行の中で開催されたこともあって、途中で退席しなければならない参加者も多く、次回総会の開催などについては別途、連絡しあうこととなりました。(松本)


辺野古現地の座込み現場を訪問
この美しい海に絶対に基地を作らせてはいけない!

大雨の中、2218日目の座込み

15日午前中の全国連絡会総会の終了後は、数人づつ分かれて行動しました。私は、辺野古の座込み現場を訪問することにしました。全国連総会会場の近くで昼食後、岩国から来た方のレンタカーに同乗させてもらって、横田からの方と、歓迎しない会からのもう一人で、総勢4名で辺野古を目指しました。高速を利用して1時間くらい走ったと思います。写真では良く見ていた辺野古の海、現地の方々が体を張って闘い続けてこられた現場に到着しました。



この日も、雨続きで、時々風雨が激しくなるような天候でしたが、辺野古の海はとても綺麗な海でした。晴れていれば、もっとすばらしい色彩で輝いていたのでしょうが、雨模様のこの日でも海はエメラルドグリーンに輝き、淡い黄色というか白っぽい浜辺の色とのコントラストと、澄んで広く静かな海上の空間と海岸が一体となって目に入ってきました。地元の人々が、この環境をなんとしても守りたいという強い思いを抱くのがとてもよく理解できます。

この日の座込みは2218日目、海上基地建設阻止にここで立ち上がってから13年と3ヶ月以上という日でした。辺野古の海に杭一本打たせず、新基地建設を阻止し続けてきた運動に敬意を抱きつつ、座込みのテントに入り込みました。たくさんの若者たちの先客があり、テント内はにぎわっていました。しばらくすると、ヘリ基地反対協の方に浜辺など周囲を案内してもらいました。


市の環境衛生課の看板に、誰かが少しだけ色をつけたそうです。

海の美しさは写真では伝えきれません

 13年前に闘争を開始した場所の話し、反対協の人が看板に“色”をつけた話し、軍事境界線の金網の話し、辺野古の海や大浦湾の生物多様性の話し、ここに計画されているのは普天間移設ではなくて新たな一大軍事拠点(滑走路は2本だし、軍港付き、弾薬庫も隣接一体、などなど)なのだという話しなどいろいろ案内いただきました。

この金網、良く見るとカミソリ形の大変危険なものです。
米軍の侵略戦争先でのキャンプでも使われているものだそうです。これにかかったら大変です!

「軍事境界線」。この金網の向うはキャンプシュワブです。美しい砂浜で上陸訓練などの軍事演習がなされています。金網には、新基地建設反対の全国の人々のメッセージがたくさんくくりつけられていました。


 後は写真で説明しますが、もっと知りたくなったら、沖縄の運動を理解し一体となって頑張りたいと思うなら、やっぱり現地に行くのがいいですね。海の本当の美しさなどは写真では十分には伝えきれませんね。私もまだまだ沖縄の歴史と現実、勉強しきれませんでした。また機会があったら是非一緒に沖縄に学びにいきましょう。(鈴)

大浦湾側から辺野古崎を望む。
大浦湾、辺野古崎周辺は、生物多様性のある貴重な海域でもあります。あいにくの悪天候であったこともあって、海の美しさを写真では伝えきれません。現地に行くほかありません。

 <参加報告>

5/15 アジアから基地をなくそう!
とり戻そう普天間 国際連帯の集い”

アジア太平洋規模の国際連帯で基地はいらない!

15日の夕方からは、再び参加者みんな宜野湾市の市民会館に集まって、“アジアから基地をなくそう!とり戻そう普天間 国際連帯の集い”に参加しました。(たくさんの行動が重なっていて、大雨の中でしたが、全部で参加者は300名になりました。)

普天間返還!日米軍事再編反対!基地はいらない!という思いを日本全国連帯した思いで実現しようと全国連総会を開催したその夜に、今度は日本国内からだけでなく、韓国、フィリピン、グアムからのゲストを招いて、アジア太平洋規模での民衆連帯が確認できる集いが開催されたのには、大変意義深いものを感じました。歓迎しない会からは、キャンプ座間の迷惑を告発するパネルなど展示でも参加させてもらいました。

グアムからもゲスト参加

グアムからのテリリン・フランシスコさんは、グアムの先住民族チャモロの方です。チャモロは現在、グアムの人口の37%を占めているそうです。
 歴史的には、まずスペインがやってきて植民地とされた、その後米国に譲渡され、(太平洋戦争で)日本に奪われ、その後日本軍からの「解放」が米軍によりなされた。(米軍が解放者であると思い込まされているのだそうです。)
 そして、米国の支配とともにグアムは軍事と結びつくこととなった。連邦の法律で土地を取り上げられた。選挙権も持っていない。言葉も使用禁止され失った。文化も家族とのつながりも失った。現在、3分の1の土地が米軍基地として取り上げられ、かつてのチャモロの首都だった土地も基地の中で入ることも出来ない。最も豊かな土地を基地に奪われてしまっている。(米軍再編で)2014年までには、沖縄から海兵隊8000人、韓国から陸軍1000人がやってきて新たな基地が出来ることになっている、などなどの報告がありました。

フィリピンでは米軍基地閉鎖を勝ち取った!

フィリピンからのコラソン・ファブロスさんは、1992年に米軍基地を持たないという憲法を得て、米軍基地の閉鎖を勝ち取ったことが報告されました。(一同喝采)しかし、現在は「訪問協定」によって米軍が訓練と称してフィリピン各地に来ており、ファブロスさんたちは闘いをやめていない。沖縄にもいつも注目している。いつでも連帯していこう!と報告がありました。

韓国からは、神父の文正鉉(ムンジョンヒョン)さんが発言され、「米軍基地の被害はどこも同じようです。」「人を殺しにいく軍隊を世界からなくそう!これからもこういった交流を進めよう!」と声を張り上げました。


普天間撤去・新基地建設反対を神奈川からも!

 この国際連帯の集いの後には、主催者による交流会にも参加させてもらいました。集会・交流会を通じて、やはり、基地はどこにもいらないのだと再確認させられました。だからこそ普天間基地は、沖縄だけの問題なのではなくて、全国の国民が一体となって返還・撤去のために立ち上がらなければならないのだと思いました。

沖縄の基地の集中度ほどではないですが、神奈川もまた多くの基地をもち、やはり多くの基地被害を抱えています。基地周辺の住民には沖縄と共通の被害・迷惑・思いがあります。沖縄戦や沖縄差別の歴史という背景が異なるにしても、私たち神奈川の仲間は沖縄の置かれている状況を理解できるようになれるはずだと思います。

だからこそ、今、普天間基地撤去・新基地建設反対の声を私たち神奈川からも大きく上げていくことが大事だと思います。私たちも、これからも益々頑張ってまいりましょう。(鈴)

韓国からは、民衆楽団トヌムの韓国伝統農楽の舞で連帯表明



フィールドワークと、豪雨の中での普天間基地の包囲行動
包囲は1万7000人の参加で大成功!
政府は沖縄の民意に応えて、辺野古新基地断念し普天間は撤去を!


豪雨の中での行動に向け備え

 沖縄3日目、朝になっても激しい雨が降り続いていました。カッパ、ビーチサンダルなど午後の普天間包囲に備えて雨対策グッズの準備から、この日はスタート。

キャンプギンザーをウォッチング

 国道58号を宜野湾方面に向かう途中、歩道橋の上からキャンプキンザーを臨みましたが、道路沿いの街路樹に遮られよく見えません。場所を移し、スーパーの駐車場からは、牧港や基地内の住宅がよく見えました。絶好の基地監視スポットです。神奈川県内の基地内と全く同じ形の高層住宅が何棟もありました。上からみると、十字の形をした特徴のある建物は、攻撃対象にならないための目印です。


海兵隊と陸軍の補給基地キャンプキンザー内を見る。
野戦場の訓練でしょうか、中ではテントとパラボラアンテナを展開している場面が確認できました。


沖国大ヘリ墜落現場を訪問

次に、2004年8月の米軍ヘリ墜落現場となった沖縄国際大学に向かいました。この日は丁度、職員採用試験のため校内には入れません。墜落により黒こげになった木と校舎の壁が保存されている場所は、5年前は何も手が加えられていませんでしたが、現在は、説明板も設置され、誰でも入れるようにきれいに整備されていました。この惨事を忘れることはできません。

ヘリの墜落跡には、事故当時の説明板がありました。新たな校舎が建てられていて当時の面影は、焼けた樹木と破壊された鉄筋コンクリートがモニュメントとして残されているだけでした。

午前中フィールドワークの最後の目的地、佐喜真美術館は車の行列で、とても入れる状況ではなく見学は断念。宜野湾市役所向いの農協会館地下の食堂で昼食をとることに。珍しい沖縄風おみそ汁「いなむづち」定食をいただきました。

決して忘れられない行動となった豪雨の中の普天間包囲行動

 いよいよ包囲行動へ。雨は相変わらず降っています。市役所前にスタンバイ。包囲行動を前に、伊波宜野湾市長のあいさつ、女学生のメッセージなどが続きます。目の前に見える宜野湾市役所に掛けられた大きな垂れ幕が目をひきます。基地撤去を願う黄色いリボンが結ばれたロープも見えます。宜野湾市など基地周辺の自治体が包囲行動実行委員会を形成して包囲行動を主催していること自体、私たちにとっては驚きです。


続々と人が集まってくる。(宜野湾市役所付近)

午後2時、1回目の包囲は基地に向かって、つないだ手を上げると、雨が腕を伝って腋を流れます。3分間そのままで。包囲の全体像は見えようもありませんが、街宣車が包囲の薄い場所を伝えます。2回目の包囲に向けて、500mほど移動。上原南信号付近で基地を背に2回目包囲。降水確率80%だったにもかかわらず、2回目包囲の後、奇跡的に雨が止んだのです。天の味方に、3回目に向けて元気が出ます。午後3時、基地に向かって3回目、最後の包囲。「基地はいらない!」と叫ぶ声に呼応するように一段と激しく雨が打ち付けました。

包囲行動が終わると、近所から参加した家族連れが揃って帰る姿が見えました。私たちのような外人部隊も多かったようですが、沖縄の反基地運動は地域の人々に支えられていることを感じます。沖縄では、「基地はヤマトへ」の声があることも知り、「基地はいらない」という思いを共有しながらも、現地に行くと複雑な思いが交錯していることを肌で感じることができました。

雨の中での普天間包囲行動は印象深く心に残るものになりました。(岩本)



 <学習会 参加者レポート>

キャンプ座間内と周辺は遺跡の宝庫!貴重な文化財が眠る!

文化財保護の観点からも米軍の好き勝手にはさせられない!


 4月24日(土)、前相模原市立博物館長で相模原市生涯学習部長の大貫英明さんを講師にお招きし、「キャンプ座間と周辺の遺跡 現状と課題」と題して学習会を開催しました。以下は、参加者からの学習会感想レポートです。


歓迎しない会 学習会を終えて

 「キャンプ座間と周辺の遺跡 現状と課題」の学びは、その遺跡名につけられた字名に関しての興味にもつながり、座間市教育委員会発行の文化財調査報告書を買い込んで読みあさるというちょっとしたマイブームと化している。

 キャンプ座間内にはその周辺も含め多くの文化財が出土し貴重な研究対象となっている事、特に座間域側には現在の住居地に変容していて残り難いとされる平安期や中世の集落跡も存在していると知るに至った。既に相模原市では基地内の開発に伴う試掘調査には市の職員も立ち合っていると聞き、今回座間市に示された5.4haの返還候補地についても調査は必須であろうし、その際には情報の提供は当然の事、市教育委員会の同行を求めてゆく必要がある(出来れば市民も!)と感じた。

 「遺跡に優劣はなく、全て人類の歴史と無関係の所はない。文化財保護法という法律があるから守るというのではなく、自分の身近にあるものを大事にすることで地域や自然を大切にし、開発に際しては本当にその地形変容が必要かどうかを考えるという意義がある。」という大貫先生の言葉を振り返る時、先日視察で見てきた岩国の埋め立て新滑走路とその為に半分に切り削られた愛宕山の風景が思い出された。そして、その新米軍滑走路は5月末に計画から30年の年月を経て開港となる。(安海)