発行日:2017年5月8日 キャンプ座間への米陸軍第1軍団の移駐を 歓迎しない会ニュース No.65 電子版 |
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座間市議会 46覚書見直しを決議座間の市是「基地の整理・縮少・返還」の礎 は何処へ |
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3月議会最終日、自民・いさま会派の団長より「在日米陸軍司令部キャンプ座間の自衛隊一部使用に関する覚書の見直しと新たな覚書の締結を求める決議」なるものが提案され、これに公明・大志・明進の各会派が賛同(民進党議員1名の賛成討論に対し4名が反対討論をするも)、議長を除く21名による採決では反対は会派に属さない議員と共産党の6名のみ、賛成多数で採択されました。 1971年(昭和46年)、当時は米軍基地であったキャンプ座間に自衛隊を移駐させ、米陸軍と共同使用を、との防衛庁からの申し入れがあった際に「これを認めては基地の恒久化につながる」と町をあげての反対運動が起こりました。これに対し横浜防衛局長と座間町長とで「陸自の一部使用を受け入れるにしても300人規模とすることや、防衛施設局が基地縮小へ最大限努力することなど13項目で合意(東京新聞)」し、これと同時に締結された「確認書」には「覚書記載の各条項のいずれかについて将来実現不可能な場合、覚書は無効とし自衛隊の使用は取り消す」とまで明記されました。以来これらの文書は「46覚書」として今日まで座間市における基地対策の拠り所、基地強化に対する歯止めとして生きてきたのであります。 実際、自衛隊の中央即応集団が廃止となるにあたり(その庁舎や隊舎が空いてしまうことへの埋め合わせとしか思えないのだけれど…)「…陸上自衛隊の各方面隊を束ねる陸上総隊司令部(仮称)を朝霞駐屯地に新設することを予定している。これに伴い、座間駐屯地においては、…略…陸上総隊司令部日米共同部(仮称)を配置する予定。…略…第364施設中隊等を駒門駐屯地から座間駐屯地に移駐することにしている。 これらの部隊改編に伴い、座間駐屯地の定員は約590名から約470名となる予定であるが、駐屯地の体制の決定に際しては、覚書で定められた内容を踏まえ、適切に対応してまいりたい。」と本年3月28日の南関東防衛局と座間市の協議会で説明がされたとあります。 国から何ら求められた訳でもなく、むしろ防衛局は覚書をきちんと遵守しようとしているにも関わらず、市議会の側からその見直しを提案し、決議の採択に至ったことに、反対した者の一人として憤まんやるかたありません。 しかもこれは昨年12月議会において自民党議員の質問に市長が「(覚書を)実情に即したものに見直すべき」と唐突に答弁をされたことへのまさに忖度としか思えないのです。 決議を受け今後は具体的な見直し案が、国と市の協議会にステージを変えて議論し始められることとなるでしょう。折しも今年の憲法記念日には「9条に自衛隊明記」と首相の改憲へのギアチェンジが公けにされました。座間の市是の礎としての覚書、そして国是の礎たる平和憲法、今そのどちらもが変えられようとしているのは単なる偶然ではありません。益々もって注視し議論し発言し続けなければなりません。 安海のぞみ |
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3月24日,座間市議会で「46覚書見直し決議」が賛成多数で可決されました。 決議文(pdf) |
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春のフィールドワーク
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歓迎しない会は,春のフィールドワークを5月5日の「こどもの日」に実施しました。 いつもはキャンプ座間だけを見て周るのですが,今回は,相模補給廠と厚木基地も対象として,車で周る企画となりました。 車で周るという,文字通りの駆け足でのフィールドワークとなりましたが,いつもより参加者は多かったので,これからも企画できればと思っています。 |
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![]() 市営駐車場屋上から補給廠を望む |
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相模総合補給廠 午前9時半、JR横浜線相模原駅改札に集合、市営駐車場屋上から相模総合補給廠を望みました。「キャンプ座間が母屋だとしたら、補給廠は納屋」など、歓迎しない会メンバーでもある補給廠監視団の沢田さんから、基地の役割や現状について分かりやすく説明を受けました。2014年に補給廠214haの内、17haが国に返還されましたが、今回のフィールドワークでは、鉄道・道路用地として返還された2haの一部返還地に4月22日開通した南北道路に入ることができました。車の通り抜けはまだできませんが、補給廠北側の地域の人たちは、相模原駅まで、これまでの半分以下の道のりに短縮され便利になりました。 しかし、相模原駅側の15haの返還地や、その北側の共同使用エリアの鉛汚染が見つかった所はブルーシートに覆われたままで、基地の土壌汚染の問題は、今後の基地返還に向けても深刻です。参加者から、補給廠右側の倉庫等が建ち並ぶエリアと対照的な左の広大な空き地について質問され、かつて、ベトナム戦争時に戦車の修理場所になっていたことなどが説明されました。 補給廠の北側を通り、矢部駅に近い県営住宅内の道路から老朽化したまま放置されている倉庫群をいくつか見ることができました。キャンプ淵野辺跡地にある相模原市立博物館でトイレ休憩をとり、キャンプ座間へと向かいました。 |
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![]() 返還地に開通した道路 |
![]() 補給廠南北道路に新しくできた米軍専用ゲート |
キャンプ座間 今回は,がけ崩れ現場を確認してから,新戸公園に上り,基地内のモータープールと陸自中央即応集団司令部庁舎を見てという,キャンプ座間としては,簡単なウォッチングとなりました。 2014年に発生したがけ崩れの現場は,依然として手付かずの状態で,積まれたプレコンバッグも劣化が進んでいる様子でした。がけ崩れ箇所をみながら,金子共同代表の説明を聞きました。 基地内の様子も,これまでと大きく変わったところはなかったと思われますが,この日は米軍が休日ではないので,スクールバスの運転手がいたのと,洗車をしている様子も確認できました。 この後、キャンプ座間のメインゲート前を通り、厚木基地へ向かいました。 |
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![]() 崖崩れ現場にて説明を聞く |
![]() 新戸公園側からキャンプ座間をみる |
厚木基地 厚木基地南側の綾瀬市スポーツ公園は子供連れでいっぱいでした。こどもの日の休日を親子で楽しむ姿があふれていましたが、その上空ではFA18戦闘攻撃機やUC35Aなどの軍用機が爆音とともに飛び交っていました。そしてその軍用機を撮影しようと多くのマニアが集まっていました。 厚木基地は2438mの滑走路が南北に1本あり、506万8千平方メートルの広さを持つ、米海軍と海上自衛隊との共同使用飛行場です。1973年から米空母が横須賀基地を母港化し、その艦載機が厚木基地を利用して訓練するようになり、44年間に5隻の空母が交替しています。 出港間近であるため艦載機の訓練が激しさを増していましたが、それとは別に前日の5月4日にオスプレイが1機、厚木基地に入ったとの情報がありました。南側からはオスプレイの姿は見られませんでしたが、北側のふれあいの森草柳広場に移動してから探したところ、駐機場にいたオスプレイを見つけることができました(下記写真)。6日のキャンプ富士でのイベントのために飛来したものです。 |
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![]() 5月3日に来たオスプレイが,5日も厚木基地に居座っていた(中央の機体) |
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今回は相模総合補給廠、キャンプ座間そして厚木基地と盛りだくさんのフィールドワークとなり、午後2時半過ぎまでの行程でしたが、基地の広さと市民生活への影響が実感できた一日でした。 |
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