キャンプ座間への米陸軍第1軍団の移駐を   
発行日:20131月22

歓迎しない会ニュース No.39



[報告]

第9回総会開催

2012年12月8日(土)

 会員20人の参加で第9回総会が開催され、2013年の活動方針が承認されました。また、役員選出では、共同代表が牧嶋とよこさんから安海のぞみさんに交代、新たに事務局員として加藤陽子さんが加わりました。

 記念講演では、リムピース編集長の頼和太郎さんから、県内への飛行が危惧されるオスプレイについてお話を伺い、その危険性について認識を共有しました。

 2月には、キャンプ座間のフィールドワークを予定しています。9年目を迎えた歓迎しない会の活動へのご参加、ご協力をよろしくお願い致します。


総会記念講演


頼和太郎さん(リムピース編集長)


[報告]

陸自中央即応集団司令部 完成間近

~相模原市民協の視察報告~

              共同代表 金子豊貴男

 1月17日、相模原市民協(相模原市基地返還促進市民協議会)の定例行事、市内米軍基地の視察が行なわれた。参加者は市民協の委員で申し込んだ40名。
 バス1台でまずキャンプ座間に。 正面ゲートから入り、コミュニティセンターで司令官の歓迎挨拶を受け、その後在日米陸軍の概要説明を受ける。
 バスに乗って陸上自衛隊第4施設群の隊舎の4階屋上へ。ここで、朝霞基地から出張で来た、陸自中央即応集団司令部建設の担当から新司令部の建物、庁舎と隊舎の建設状況の説明を受ける。写真も自由に撮れたので、掲載するが、庁舎建設はほぼ完成、現在足場を撤去中で、3月末までに完成させるために突貫工事中とか。正月も元旦から工事を行なったという。
 隊舎の方も完成まぢか、米軍よりも立派な建物が2棟、キャンプ座間内に聳え立つ格好だ。二つの建物の間の地下に、市道のトンネル拡幅工事が進捗中。こちらはまだ3年ほどかかる予定で、陸自中央即応集団司令部の建物が完成しても儀典広場などは使えず、司令部の引っ越しはいつになるかは不明だ。
 同行した米軍の渉外部に聞いたところ、現在、米軍と陸上自衛隊で 事業の調整中とかで、こちらはまだ協議が続くということであった。


建設中の陸自中央即応集団司令部
米軍よりも立派な建物が2棟、キャンプ座間内にそびえ立つ



庁舎のエンブレム

基地内横断道路(市道)の拡幅工事

 次に視たのは市道、新戸・相武台のトンネル拡幅工事現場。相模原市の市道整備課長以下職員が説明役でだいぶ進んだ工事現場を視察した。
 トンネルは今後もⅡ期工事、Ⅲ期工事と進み、あと3年はかかるということで、市民の不便はしばらく続きそうだ。

 この後、昼食、バスでゴルフ場外周からヘリポートなど、基地北側を1周して、相模原住宅へ移動、基地内の住宅建設の模様を見る。新規建設がだいぶ進んでいる様子が分かる。
 相模原住宅内をぐるっと廻り、相模総合補給廠へ。相模総合補給廠では返還予定地、戦闘指揮訓練センター(任務指揮訓練センター)内や建設が終わった、陸橋などを見る。



キャンプ座間

「46文書の約束は今も有効」
座間市域返還跡地のCRF家族宿舎建設は約束違反

共同代表 安海のぞみ 

これまでの陸自CRF(陸自中央即応集団司令部)家族宿舎・民間病院・公園ゾーンに加え、消防庁舎ゾーン約0.5㏊を盛り込んだ改定利用構想を南関東防衛局に示し、一定の理解が得られたとの報告がされて1年が経とうとしています。もとより家族宿舎ありきですすめられてきた返還跡地構想には再々異を唱えてきましたが、キャンプ座間内ではCRF庁舎建設が着々とすすみ完成後はそこへ通う自衛官の住まいは近傍にすべし、とのことから家族宿舎建設はもはや変更の余地なしで始められることでしょう。なんと250世帯が座間市民として転入してくるのです!起伏の多い返還地の切り盛り・造成を宿舎用地のそれと合わせ、市の要望を考慮した上で全体的にやっていただけそう…と歓迎ムードが一段と濃厚になってきました。

 この様な時だからこそ改めて46文書・46年の覚書の存在を思いおこしておく必要を強く感じます。昭和46年キャンプ座間を自衛隊が共同使用するに当たり、町をあげての反対運動の末、当時の鹿野文三郎町長と高村清横浜防衛施設局長の間で交わされた覚書は米軍にせよ自衛隊にせよ「これ以上の基地強化はさせない」という町民の決意であり、国との約束に他ならないものです。覚書締結から34年経った2005年、米軍新司令部の移駐反対運動の最中、「覚書は時代にそぐわない。」という国の姿勢に鹿野元町長は「約束は今でも有効。それをほごにしようとするのはあまりに無責任」と批判しています。

 その鹿野氏が亡くなられたのも昨年の2月、国に対しキャンプ座間の基地機能縮小を約束させた元町長のご逝去と時を同じくして宿舎予定地の切り盛り、造成が開始されたかに感じられてなりません。事実この42年間、陸自の施設はキャンプ座間内の座間市域側には1つも建設されず、今回のCRF庁舎を含めて全て相模原市域に建てられています。

 こう考えますと、家族宿舎は返還地とは言え座間市域に建てられる自衛隊施設に他ならず明らかに覚書に反するものです。42年前の国との約束、私たちは常にそこへ立ち帰り、これを今後の運動につなげていかなければなりません。


キャンプ座間”返還”予定地の様子