米軍、相模補給廠で焼夷弾の爆破処理をまたも強行


歓迎しない会・補給廠監視団が抗議・申し入れ


 在日米陸軍は、相模総合補給廠の戦闘指揮訓練センター建設工事の過程で焼夷弾(と思われる物体)約100発が発見され、「移動が困難」であるとの理由で、8月27日に補給廠内での爆破処理を強行した。
 焼夷弾爆破処理は、昨年12月に続き再度行われたものであり、歓迎しない会と相模補給廠監視団は当日、補給廠(米陸軍)に対し抗議行動・抗議文申し入れを行った。

 補給廠では2009年12月4日、突然、焼夷弾の爆破処理が行われ、大音響で基地周辺に不安や迷惑を与えたためいったん中止したが、直後の12月7日には残りの爆破処理を強行した。歓迎しない会は、昨年の爆破処理に対して抗議行動・抗議文提出を行い、市民の不安と抗議の意思を示した。そして、私たちは焼夷弾の処理はこれで終わったと思っていた。

 ところが、今回、同様のことが繰り返された。いったい補給廠には焼夷弾が何発埋まっているのか。昨年の爆破処理以降も、米軍は全く経緯を明らかにせず、8月25日に突然、爆破処理を告げてきた。さらに、戦闘指揮訓練センター及び訓練支援センター建設は、土壌汚染の調査という名目で、現在工事がストップしている。焼夷弾をはじめとして、補給廠内は危険物、汚染物質が大量に埋まっていることが明らかであり、不安は増大するばかりである。危険物や汚染物質を除去して、一刻も早く基地を返還するよう訴える。


相模総合補給廠ゲート前で抗議



抗議文を読み上げ、提出




2回目の爆破処理(1)




2回目の爆破処理(2)



<抗議・申し入れ書>

2010年8月27日

在日米陸軍・第1軍団前方司令部
フランシス・ワーシンスキー司令官殿

相模補給廠監視団

キャンプ座間への米陸軍第1軍団の移駐を歓迎しない会

相模総合補給廠での焼夷弾発見と爆発処理について(抗議)

 本日、貴職らは相模総合補給廠内において、焼夷弾の爆破処理を行うとのことであります。昨年12月の突然の爆破処理につづく今回の事態に、私たちは大きな驚きとともに、強い怒りを感じています。

 貴職らは去る8月26日、相模原市などとの協議の場で、戦闘指揮訓練センターの建設現場で発見された焼夷弾の数が100発であることを明らかにしました。そして、移動及び放置は危険であるという理由で、相模総合補給廠内において爆破処理することが最善との結論を示し、本日、それらを5回に分けて爆破処理するとのことであります。

 貴職らは前回、昨年の爆破処理の際、爆破による大音響が周囲約3キロに響きわたったことをお忘れなのでしょうか。爆破場所から3〜400メートルのところに、病院や保育園があることをお忘れになったのでしょうか。貴職らは「騒音を低減させるため、覆土して行なう」とし、安全・騒音対策に配慮するとしているが、それによって周辺に住む市民の不安、迷惑が解消されるわけでないことを知るべきであります。

 一体、戦闘指揮訓練センターの建設現場や訓練支援センターの建設予定地の下には何が埋まっているのですか。どんな危険物、廃棄物、汚染物質が埋まっているのですか。先頃、両センター及び周辺で土壌汚染の調査、除去工事が行われることが明らかとなりましたが、それからわずか数日で今回の焼夷弾の発見、処理という事態が起こりました。相模総合補給廠は従来から環境汚染の事実、疑惑の絶えない基地ですが、今回の一件でこうした基地汚染への不安はさらに増大しました。

 1938年に旧日本陸軍の施設が建設されるまでは、この地は農民のものでした。1945年、米陸軍に接収され、以来65年間、貴職らがこの広大な敷地を占有しています。しかし、この地はいずれ返還され、相模原市民の財産となる土地です。ですから、その地を汚されたり、好き勝手に使われたりするのは、市民にとっては納得のできることではありません。もういい加減にしてほしいのです。

 今日、私たちは焼夷弾の発見と爆破処理に抗議するとともに、焼夷弾などの危険物や汚染物質を除去して一刻も早くこの基地を返して下さい、との思いも伝えたいと、この文書を貴職らにお渡しします。